新卒社会人のADHD奮闘記

新卒社会人が発達障害について、周囲からの視点、自身の気付き、仕事、勉強への意気込みについて書きます。

発達障害者の学習、勉強について

こんにちは、神崎です。

実質初投稿です。

 

今回は勉強、学習について語ります。

 

社会人のみなさんは学生時代、勉強は得意でしたか?

学生のみなさん勉強は得意な方ですか?

 

私は好きな教科に限り、大得意でした。特に高校の地理Bが大好きでした。

めちゃくちゃ得意だった結果、センター試験満点です。

自分が地理Bが得意だった理由は、無意識にマインドマップ(メモリーツリー)の考え方通りに記憶できていたからです。

 

あの感覚でなんでも勉強できたらなぁとか思い返しながら、今日も次のプロジェクトのために触ったこともないLinuxの勉強をしています。

 

さて、本題ですが、私が自分がADHDであることに気づいたのも勉強、学習について考えていた時の気づきからです。

 

ブログに起こすために内容を整理、具体化すると、この4つのサブタイトルにまとまりました。

  • 脳の構造と学習(一般)
  • 脳の構造と学習(ADHDの場合)
  • 学習と勉強と"強制力"
  • 自己分析(1年ぶり2回目)

1つずつ解説したいと思います。

 

脳の構造と学習(一般)

誰でも新しい技術を身につけるためには練習、学習をすると思います。

人によっては、それほど練習しなくても身につけられるものもありますし、逆になかなか身につかないものもあります。完全に人それぞれです。また、人によっては練習をしなくても身に付くいわゆる天才もいますが、天才でも身につけるために1度は挑戦します。なんでもできる人は1度の挑戦で身についてしまうものが多いのです。

 

ものを覚えるためのメカニズムとして図を作ってみました。

物事を覚えるためには理解する必要があります。

IT系っぽく言うと人間はコンピュータとは違い、新しいモノをダウンロードをしても簡単にインストールをすることができません。下図のように

 

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  1. 思考を短期記憶する訓練を繰り返し、
  2. 何度も短期記憶を行い、それを長期記憶に変換します。
  3. 長期記憶から思考を引き出せる状態になること。

1・2の手順を手を替え品を替え繰り返し、目標である3の状態になります。

覚えたい対象物が自分の得意なもの、好きなもの、自分にとって簡単なものは"本心の理解"への到達速度が速く、1・2の手順が一瞬でクリアできます。

 

私はこの理解した(身についた)感覚を得た時に、頭(脳)で得た理解ではなく、体に刻み込まれた感覚があったので、私はこの理解した感覚のことを勝手に"本心の理解"と呼んでいます。

(ちなみに私はこの感覚にならないと長期記憶することができません。)

さらに上位の状態として、無意識にマインドマップが思い浮かぶ状態になれば、決して忘れることもないでしょう。完全に自分のものになっています。

 

ここで問題となるのが、身につけたいことが当人にとって難しい課題である場合です。

1・2の手順を繰り返すことが苦痛です。

 

ここを乗り切るまでの訓練が、好きなこと、夢中になれることへのステップであるのかどうかを自分の気持ちと相談しましょう。その難しい課題が本心から必要と思えるなら、取り組むことができます。違うなら別のことを探すのも手です。

 

脳の構造と学習(ADHDの場合)

ADHDの脳の特性として、思考が分散しているので、アイデアはポコポコ生まれます。その代償として、著しく短期記憶の能力が欠如しています。

ADHDの場合、短期記憶の能力の欠如のせいで、この学習サイクルに取り組むこと自体に問題が発生します。手順1・2の繰り返しの苦痛感が非ADHDの比にならないほど強烈なのです。

しかも!周りの"できる"人たちはひょいひょいと乗り越えてしまうように見えるため、より一層ストレスがたまります。

ADHDの場合の学習サイクルも同様の図にしてみました。

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  1. そもそも思考が脳を支配しています。長期記憶は正常なので長期記憶と思考がゆんゆん反芻しています。
  2. 不得意なことへの短期記憶が難しく、短期記憶での理解が進まないため、なかなか長期記憶に変換できません。
  3. 長期記憶になるまで努力できた場合は身につきます。

ADHDの場合も、覚えたい対象物が自分の得意なもの、好きなもの、自分にとって簡単なものは"本心の理解"への到達速度が速く、1・2の手順が一瞬でクリアできます。

 

短期記憶能力が低くても、長期記憶状態まで持って行くことは途中でやめない限り可能です。しかしながら、途方も無い時間と根気、学ぶことの必要性への理解が必要です。

 

新しいことを習得することは、ADHD特性がなくても挫折しやすいのに、ADHDの人たちは、特性によって殊更挫折しやすいのです。

 

学習と勉強と"強制力"

勉強の中国語での意味では、強制的に学習する(させる)ことであると聞いたことがあり、Google先生に聞いても、どうやらそのようだと書かれていました。

私の場合、大学受験までを乗り切ることができたのは、テストに合格しないと嫌いだった高校から卒業できないという"強制力"があったことが大きな理由です。

しかしながら、大学、社会人になるにつれて"強制力"をもって学習することが難しくなりました。大学時代はまだ、単位取得のために友人と一夜漬けで詰め込む"強制力"を使って乗り切ることができました。

 

社会人になると業務以外の学習は自己研鑽です。自己研鑽の学習にはこれまで通用した"強制力"を使うことができません。すると得意なこと、既に身についたスキルの延長でしか学ぶことができません。

 

つまり、私は"勉強できない人"になりました。

 

自己分析(1年ぶり2回目)

勉強ができる人間であることをアピールして就職活動を行い、今の会社に入社したつもりだったので、勉強ができない自分が許せませんでした。かと言って、業務時間外に勉強に取り組む気にもなれず、自称高学歴の私はなぜ自分が勉強に取り組むことができないのか不思議で不思議で仕方ありませんでした。

 

自分に苛立ちながら数日が経ち、私は「これ以上、この状態を耐えられない、何かしらの対処をしないと鬱になる」と漠然と危険を察知したため、"勉強できない社会人"について、ひたすら思考し、検索し、"自分はADHDかもしれない"という仮説を導き出しました。

この過程が就職活動前には適当に行っていた自己分析の延長線上にあると気付けたのは大きな収穫でした。

自己分析の重要性、効用については今後、別の記事にします。

 

おわりに

私は"勉強ができる"という自分への思い込みが結果として自分自身を追い詰め、鬱になりかけました。今はADHDの自覚とADHDの治療によって、自分の特性を以前よりは理解できているので、不必要に重いストレスに振り回されずに学習に取り組めています。

 

この記事が誰かの助けになれば幸いです。